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北のほうにイスラム勢力がやってきます。
・イスラム教によるヒンドゥー教、仏教建築破壊
《十字軍の遠征》
■仏教消滅
■デリーに
イスラム王権樹立
北側はイスラム圏になるので、大規模なヒンドゥー教建築等は行われなくなりました。
■イスラム文化との融合
イスラム教徒が北から入ってきて、北から徐々にイスラム文化の影響をうけてくるのがこのころです。
《ヴァスコ・ダ・ガマ来航》 |
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■ヒンドゥー教全盛
南インドでも寺院建築やブロンズ像の技術が発達。たくさんの作品が生まれています。寺院はだんだん巨大化。タントリズムやバクティー信仰など、当時の宗教感を反映しています。

■タントリズムと寺院建築
この時代の寺院は、タントリズムと共に発展しているので、壁面彫刻などには男女の絡み合う姿なども赤裸々にあったりして。そういう彫刻は、カジュラーホやコナーラクの寺院が有名です。

■西インドではジャイナ教寺院も。
アーブ山やラーナクプルではジャイナ教の寺院建築が発達し、大規模な寺院建築ながら大理石でできた繊細な彫刻がとても有名。
11C[中]カジュラーホのヴィシュヴァナータ寺院(チャンデッラ朝)
12C[南]ハレビードのホイサレーシュワラ寺院(ホイサラ朝)
13C[南]チダンバラムのナタラージャ寺院
13C[東]コナーラクのスーリヤ寺院
+北インドには寺院が残ってない?+
イスラム教徒は偶像崇拝を禁止しているので、神様や仏様の像がたくさん飾ってあるようなヒンドゥー教、仏教の寺院をかたっぱしから壊していきました。西~北インドに中世の寺院が残っていないのはこのせい。
とはいえ、インドに定住することを選択したイスラム教徒たちは、 後に融和することを選びます。 積極的にヒンドゥーの文化や血筋を受け入れ、イスラムとヒンドゥーが融合した文化が花開きます。 |
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